【お題】私がしてきた「迷い」と「決断」。
こんにちは!
小2と4歳年中、夫と4人・核家族のまいです。
今回はお題。私の人生での「迷い」と「決断」について、さらけだそうと思います。
人生初の決断は小5「虐待親からの家出」。
私の決断は、記憶が正しければ小学校5年生、10歳の頃です。実母がかなり虐待してましてね(顔をボコボコにされた日は外出禁止)。 真冬の北海道、たぶんマイナス10度以下。何か忘れましたが、とにかくチャンスがあったんですよね。
雪がしんしんと降る静かな夜に、そ~っと玄関に行き、そ~っと長靴に足を入れ、息を殺しながら、1cmくらい、少しずつ、少しずつ、ドアをあけて、外に出ることに成功。ドキドキしながら歩きだしました。お金も食料も、何も持たずに。
とりあえず「大人の所に行かなくては」と、習い事の教室に2kmくらい~子どもの足だと30分くらいですかね、雪が降る中、歩いていきました。「やっと教室が見えた!」と思ったら、真っ暗。窓に光はなく、人の気配がしません。玄関前までいったものの、やはり誰もいなくてガックリ。
寒いし、玄関前にずっといるわけにもいかず、「どうしたものか」と交番に向かいました。パトロール中という札があり、お巡りさんもいない。
「交番の中に入ってお巡りさんを待とうかなぁ。でも中は明るいから、外から目立ってしまうしなぁ。」と、隠れてお巡りさんの帰りを待っていました。すると、親切な大人に見つかり、なぜか私の親に電話、自宅に引き取られ「お仕置き」されました。
でも、「親に見つからずに外に出られた=大成功」で、すごく嬉しかったんですね。折檻をうけながら「いつか、絶対に逃げ切ってやる!」と、誓いました。
そっと家を出たこと、そして「いつか逃げ切る」と決めたこと。これが、私の覚えてるかぎり、人生初の大きな決断です。
大きな迷い1.「結婚する?」。
大人になって、親元を離れることに成功。良い歳になったところで大きな迷いがでてきました。「結婚問題」です。こんな家庭環境だったから、なにせ結婚する自信がありません。良い家庭を築けるわけなんてない。「虐待は連鎖する」が世間の常識。
困ったことに、当時つきあっていた男性は子どもが大好きで「結婚したらたくさん子どもがほしい」と常日頃から言うタイプ。一方、私は「結婚=子どもを産む=虐待して殺すかもしれない恐怖」。ムリムリ、絶対にムリ!
彼からは、結婚を迫られ逃げ続けていました。が、相手も年頃です。私が結婚しないなら、別れるのが筋ではないか? これが大きな迷い。
決断2.とりあえず...
「結婚問題」に対する私の決断は「とりあえず、彼に本当のことを話そう」。泣く泣く、虐待されていたことを伝え(これ、かなり勇気がいります)、「子どもは持ちたくない、持てない。虐待連鎖が怖い。」とも伝えました。
彼は「子どもを持たないこと」だけでなく、「家庭環境が最悪な女と結婚すること」「虐待親と親戚になること」「一緒に攻撃されるかもしれないこと」諸々と受け入れてくれまして、結婚してしまったのです。...というとかっこいいけれど、どんなに説明しても、ピンときていなかったようでした。
結婚に際して、「家同士」問題が噴き出てきましたが、結婚プランナーの方の素晴らしすぎるフォローや、理解ある親族・友人のお陰で、無事に式を終えることができました。
大きな迷い2.「子どもを産めるのは今だけ?」。
数年たって「出産年齢の期限」が近づいてくると、本能でしょうか。「産みたいな」と思うようになりました。きっと、子どもを産めるのは今だけ。虐待連鎖の恐怖は消えていませんし、夫側の両親も病気で頼れないため、経済的にも育児的にも不安。
迷いに迷って、「一人なら、虐待せずに育てられるのではないか。」と子どもを産むことを決断...したものの、授かるかは別問題なんですよね。「あぁ、やっぱり私は母親になる資格がないんだわぁ...」なんて思ったときもありましたが、授かることができました。
出産後の決断
妊娠後、産婦人科ではじめて「お母さん」と呼ばれて震えたのを覚えています。嬉しくてじゃありません。 「おかあさん」=「虐待してた実母」と同じ立場になってしまった! 当時も、テレビでは虐待死のニュース。「私も子どもを殺しちゃうかもしれない。」...怖い。
「子どもを産む」ことに迷いはなかったけれど、妊娠中は、ずーっと不安で怖かったです。「虐待通報」のパンフレットを家において「もし私が子どもに何かしたら、ここに電話をして」と夫に泣きながら頼んでいました。
初めての妊娠・出産。実母と頻繁に電話や会うことが増え、私は精神的にまいってきました。「身体的な暴力はなくなったようだけれど、この人(実母)は昔と変わっていない。」「このままだと、私も子どもも殺されるかもしれない。」と吹っ切れて、完全に離れることを選びました。これが、大きな決断。たしか上の子が1歳のときかな。前にブログで書きました。
2人目妊娠中の「迷い」と「決断」。
その後、2人めを妊娠。実母には伝えませんでした。が、「父が余命数ヶ月」と告知を受けたのを機に、親族を介して電話がありました。ここでは、「父には会いに行かない(病院に実母がいるだろうから)」決断をしました。
迷いはあったけれど、父に会うよりも「生まれてくる命を守る」気持ちの方が強かったです。父は、ビデオ通話で顔をみて話せましたし(テクノロジーに感謝)、下の子も連れて葬儀に参列することはできたので、良かったかな。
いっぱい迷って決断してきた。
振り返ると、ずっと迷いと決断を繰り返してきた気がします。
「結婚→妊娠→1人目出産→虐待親と決別→2人め妊娠→父余命数カ月→2人目出産→父他界→葬儀→相続ごたごた」と10年以上ですね。
中でもきつかったのは、1人めが生まれた直後から約2年間。出産の出血多量と貧血で体調も悪く、保活や経済的な心配と、産後半年で仕事復帰。フルタイムの勤務先で女1人部署で色々とあり、寝ないで働きつつ、実母との対峙...と、精神的にも体力的にも相当な修羅場?でしたね。
けれど、「いっぱい迷って、いっぱい決断してきて良かったな〜」って思います。今、すごく楽しいから!
これも、夫のお陰ですけどね。ウエディングドレスや白無垢をきて結婚式したり、子どもを産んで、家庭を持つ幸せを私にくれたんだもの。彼もたくさん迷って決断してきたんだと思います。今夜は夫の好きな料理を作ろう( *´艸`)。
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