虐待された子どもが親になって、幸せになりました。
サクッとカミングアウト。私、実の親から虐待されていました。
忘れていた訳ではありませんが、最近されたことを詳しく思い出したんです。何度か殺されかけてました。今までの記憶より相当ヒドくて|д゚)ビックリ!
今日は長いです!苦手な方はスルーして下さい( ´ ▽ ` )ノ
毒親育ちは恥ずかしい
「カミングアウト」というと大げさですか?でも勇気いるんですよ~。
「毒親もち、機能不全家族育ち、家庭環境が悪い」すごく恥に感じてました。
一見裕福で幸せそうな実家。子ども心に絶対知られてはならないと必死で隠してきました。
大人になった今も、実生活で伝えたのは夫も含めて片手で足りる人数だけ。夫には結婚前に泣きながら告白しました。
虐待連鎖が怖かった
自分も虐待するんじゃないか?するだろう!ものすごく恐怖でした。結婚さえ怖かったです。
一人目出産後、保健所の人に「核家族共働き=虐待危険因子認定」されていると感じてパニックになりました。子どもにイライラを感じただけで「あの親の子だから、私!」なんて、思い込みすぎ!≧∇≦)
今となっては「虐待連鎖?はぁ( ゚Д゚)??」です。
毒親と対峙する必要はナイ
有名な本で、毒親と対峙する必要があると書かれていましたが、今の私は必要ないと思ってます。対峙したら親の反応があるでしょう?それに振り回されるなんてまっぴらゴメンです。
本のように和解する親子もいるでしょうが、必ずしもそうしなくたって良い。ケースは様々なのだから。
介護奴隷&墓守娘ゲットだぜ!
独身の頃、実家を出てからは親とそれなりにうまくやっていました。「親も大変だったんだろう」「虐待は終わったことだから」と。
私が結婚して、特に出産してからまた支配がはじまっていました。
あの時拒否して離れたら良かったのに、私は事実を直視することを避けてしまって墓守娘化。
「嫁に行くからウチの子じゃない」と奴隷扱いして折檻してたのに「時代は変わったからヨロシク!一生懸命育てたんだからね!テヘペロ」((((;゚Д゚)))))?
毒親=DVストーカー
気がつけば、遠方に関わらず親が頻繁に上京、毎日のように電話。
4年前の今頃、電話中に「もうダメだ、この人は変わっていない」と悟りました。それからは夫に電話を取ってもらい、盾になってもらっていました。
親は夫にお金をちらつかせ、泣き落とし、脅し、崩落成功→私パニック→家庭崩壊→夫が焦ってまた盾になる、を何度か繰り返しました。
夫が私の味方になると、夫の親、私のいとこ、叔母、幼なじみの親まで懐柔洗脳。
「子どもに一生懸命な親、親不孝な子ども」
私が何か言ったところで、皆毒親の味方。私はバチ当たりなワルモノ。
好きだった人もどんどん疎遠になっていく…。
毒親は外面がよく同情を引くのがとても上手。DV男がストーカー化するのにそっくりです。警察に届けられないからタチが悪い。
幸せが当り前になっていた
親とは今後も疎遠で、親族の葬祭や法事で会う程度でしょう。
今回虐待の詳細を思い出して、改めて夫に感謝。今の毎日は、やっと掴んだ平穏な生活でした(#^.^#)当り前になっていて忘れてました。
幸せが当り前になっているなんてスゴイ!
自分がこんなに幸せな家庭を築けるなんて。ずーっと怯えていた過去の自分に教えてあげたい。
最近、虐待を思い出し直視して、ここに書こうか迷いました。やっぱり私にとってはカミングアウトで怖かったんです。でも書かないのもモヤモヤで。
明日豆まきだから、モヤモヤもエイって退散!鬼は外!で勢い任せに書いてしまいました。
今後このブログで虐待うんぬん書くつもりはありません。子どものこと、仕事のこと、いっぱい書くことありますからねー(o^^o)
※虐待のケース、過去と現在の状況、親との在り方、すべて様々。「自分が幸せならどれも正解」と思っています。
以上、唐突のカミングアウト?でした!
重たい話、読み辛い文ですみませんでした。
これからもよろしくお願いします(=´∀`)人(´∀`=)
↑夫に読んでもらったマンガ。少し理解してもらえて助かりました。