生きてることが、幸せ。
こんばんは。久しぶりに書きます!
最近は前の記事をリライトしてお茶を濁していました。
やっと、自分の言葉で話ができそうです。明るいお話しではないので、苦手な方はスルーしてください。。しかもダラダラ駄文です(´・Д・)」
最近、人の死や重たい病に直面することが多くありました。。
よく言われますが、本当に続くときは続きます。
これは夫にも伝えたことがなく初めて他人に言うことで、書こうか迷いつつ書きますが…。子供の頃から勘が働くときがあります。
人と話しているときに「この人と会うのは、今生でこれが最後になるだろう」と感じることがあります。その方にすぐに何かあるのではなく、もうお会いする機会がないということです。
「ありがとうございました」と深々おじぎをしたくなりますが、相手を驚かせてしまうので、いつも通りの態度のまま心の中でお礼を伝えるだけ。
その方が亡くなったと連絡がくると、悲しいというより「あぁ、その時が来たのか」という感じ。心の中で葬儀に行けないことを謝って、ご冥福をお祈りします。
子持ちで働いていると、急な葬儀は身内か近くではない限り出席が難しいのです。きっと、だからその感覚があってお別れの機会があるのだと思っています。
実父のときも同じでした。「これで会うのは最後」と感じたとき、自分なりの親孝行をして「もう悔いがない、覚悟はできた」と思いました。もちろん父には伝えていませんが。
暫くたって「父が余命わずか」と電話がきたとき、私は2人目妊娠中。切迫早産。とても遠方にお見舞いに行ける状態ではありませんでした。
「ごめんなさい、これから生まれる命を優先させてもらいます。」と、会いにいきませんでした。余命よりかなり長く生きたので、生まれた子供を連れて葬儀には出席できました。神様からのボーナスだと思っています。
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話を戻すと、以前そのような感覚を受けた方が旅立ち、私はまた葬儀に行けませんでした。
私は周りから冷たい人間だと思われ、非難されることもしばしば。
お世話になった方々の葬儀にいかない。余命わずかな実父に会いにさえいかない。訃報をきいても驚かない(取り乱さない)ので、そう思われても仕方がないけれど。
私を非難するような方たちに限って生前その方を大切にしていたとは思えません。亡くなってから葬儀に行っただけ!
私は、たとえ心の中であってもお礼を伝え、お別れしました。もちろん、そんなことは言えないけれど。「あなた方に冷たい人間だといわれる筋合いはない」のです。やるせない、かなしい、怒りのような気持ちでいっぱい。
近頃やっと「言う必要なんてないんだ」と思えるようになりました。亡くなった方はわかってくださるはず。それで良い。
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別の方でまた、「今生はこれでお別れ」の感覚がありました。
その方に何かあったわけではないけれど、たぶん会うのは最後です。また感謝の気持ちを伝えられませんでしたが…有難うございました、と心の中で言いました。
一方、その感覚を得ず心でお別れを言えないまま、深刻な病気が発覚し緊急入院された方がいます。ほんの数日前の会話が思い出せません。
。。突然のお別れは辛い。こんなにも辛かった?
久しぶりに泣いていて暮らしていたのですが、ふと気が付きました。
あの感覚を味わっていないからきっと、生きてまた会えるはず。
数日後、今度は事故に遭遇し救急車を呼びました。私がたまたま通りかかった所で大怪我している方がいたのです。その方は大事にいたらず、手術をして助かったそうです。救急隊の方に私の会社を伝えていたので、ご家族の方と会社にご挨拶にいらしました。あぁ、よかった…。
知人の妊婦さん。
母子ともに危険な状態で搬送されました。予断を許さない状況が続いていましたが、お母さんになった知人と赤ちゃんにお会いすることができました。小さな小さな赤ちゃん。頑張って泣いていて、可愛い。二人とも無事でよかったよー(ノД`)・゜・。。。。。
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実父の話を除き、全て1~2週間の間に起こったことです。
なかなか、重たかった´д` ;
ショックを受けたり、考えこんだり、泣いたり、安堵したり。。。
命の尊さを感じた数週間。
色々な感情が出てきて色々なことを考えました。
わかったことは、「家族みんなで元気ということが、とてつもなく有難い」ということ。
当たり前のようで当たり前でないんですよね。生も死も、病気も自然のこと。いつもすぐそこにあるもの。
5年後、子供は二人とも小学生。
私の願いは、ただそこに元気で存在していたい。それはめちゃくちゃ幸せなこと。いまも、両側に子供達がいて、とても幸せ。
気持ちがようやく落ち着いてきたので、少しずつ、またブログを拝見したり書いたりしていきます。これからもよろしくお願いします。
はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」